一括りは罪である。

こんばんは。

 

日が伸びて、過ごしずつ春の気配を感じる時期ですね。今日、渋川市中心街を歩いていた時に気付きました。それは、日当たりの良い道端のちょっとした土から「オオイヌノフグリ」や「ホトケノザ」がちらほら咲いていたのです。まだまだ北風は強いですが、小さいお花達のお陰で心はぽかぽかになりますね。そうですね。これらを、雑草と一括りするのはもったいないですよ。

 

お花や木に限らず、建物の北側で日当たりの悪い場所に生えるコケ類・菌類だって、しっかり名前が付いていますよね。

 

「ふん。そんなもん『植物』として全部まとめられるじゃねーかw」

「雑草だろ?興味ないね・・・」

 

・・・世の中、一括り、あるいは、興味のない主義の大人ばかり・・・。それどころか・・・

 

「大人なんて、みんなこんなもんでしょ?」

 

子供たちまでもが、大人を一括りにして乾いた目線を送る・・・。無理もないですよね・・・。いや、その昔、私自身も子供の頃、疑問に思っていた事がありました。

 

・大人たちは、子供に勉強しろって言うけど、大人になったら勉強をまったくしなくていいの?
・大人たちは、子供にテレビゲームばかりしていないで外で遊べって言うけど、外でどう遊べばよいのか教えてくれないの?

 

うちの両親は、あまり勉強しろという教育方針ではありませんでした。ただ、宿題をしていて分からないところがあり、いざ聞いてみると『それは、先生に聞いて。』(=それは、私の仕事ではない。)という態度だったのを覚えています。もともと、両親は共働きで、仕事が終われば晩酌の毎日だったので、そんな両親に勉強のことを聞いた当時の私がバカだったと言えば、そうですけどねw

まあ、親・大人にもよりますが、「自分で考えろ・自分で調べろ・自分でどうにかしろ」という態度が多いのではないでしょうか。要は、子供の勉強に興味がない(=実は、大人だけど小学生レベルの勉強ができないので隠している?)。子供のやることだから。子供は子供。このように一括りなのでしょうか。

 

「大人は、平日は仕事をするけど、勉強はせず、休日は外で遊ばない。にも関わらず、子供には勉強と外遊びを要求するのっておかしくないか?」

 

このことは、中学生の国語時間で学んだ、著者:椎名誠さんの「遠く、でっかい世界」を思い出します(小学生の頃だと思っていたら、中学生だったんですねw)。細かい内容は忘れてしまいましたが。これを読んで思ったのは「大人達が興味を持たないモノに、全ての子供が積極的に興味を持つのだろうか?」ということ。確か、大きな入道雲がモクモクと空に広がっていているけど、大人たちは知らんぷりという話だったような気がします。感性のない大人たちの中で育つ子供に感性を養うことができるのか。いろいろ考えさせられます。

 

一括りにして興味のないモノにすれば、雲は雲です。しかし、形が似ていたとしても、まったく同じ形をする雲は二度と現れません。あの日見た思い出の中の雲。これから現れるであろう雲。アニメで観たあのキレイな雲。雲を一つとっても想像力が豊かになりそうですね。


急に話は変わりますが、「休職生活」でも同じことが言えます(突然だなw)。

 

休職中だから「休む」と一括りにしてしまうのは勿体無い。もっと、こう将来につながる生活をしなければいけませんよね。ましてや、休職中の生活に本人が興味がないでは済まされない・・・。

 

さて、「福島はじめ流休職生活」をどうすべきか、そろそろまとめないとだな・・・・(。・д・)o))